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阪神大震災

2020/01/18  14:38
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0117・・・いまでもあの日のことを思い出す。
前日と前々日は連休で、17日朝3時までパソ通をして、それから寝た。当時はインターネットはあったが、アクセスポイントが国立がん研究所ぐらいしかなく、WebブラウザはMosaicの時代で、いまは亡きNetScapeはまだ普及していなかった。というより、インターネットはテキストベースで使うのが主流で、ネットツールといえばGopherやarchieだった。
通信といえばまだまだインターネットよりパソ通のほうが主流で、私は佐賀にあった、いわゆる「草の根BBS」の一つであったEOネットに入り浸っていた。BBS用の人工無能を作ったり、9801ビープ音演奏ドライバ作ったり、擬似3DダンジョンアニメーションウォークRPGをオールアセンブラで作ったりしていた。このRPGは奇しくも、この年の前年に行われた大阪パソケットに出向いて販売していた。
いまでこそOSといえはWindowsが主流だが、この年の秋にWindows95がでる以前で、Windowsは3.1の時代であったが、3,1はMS-DOS3.x上で動作するランチャーの一種でゴミ箱すらなく使いづらいアプリだった。実をいうとWindows95もMS-DOS上で動作しており、Windows95の「コマンドモード」とは、Windowsのベースで動いているMS-DOSに一時的に制御を返すものだった。
国内のPCは、前年にコンパックが128000円でIBM-PC/AT互換機(いわゆるドスブイマシン)を売り出し、「コンパックショック」が起きたが、まだまだPC9801シリーズが主流でセットで30万円が当たり前の時代だった。

当時は塾の講師をしており、朝早くおきる必要がないので、普段なら9時ごろまで爆睡するところだが、その日はなぜか朝5時半ごろ目がさめた。
冬の真っ只中で寒いし、そんな時間に目覚めたなら布団から出ずにぬくぬく二度寝を決め込むところだが、その日はなぜか胸騒ぎがして、ふとんを出て椅子に座り、ぼうっとしていた。こんな行動をとったのは、後にも先にもそのとき限りである。すると、頭がくらくらして揺れる感じがした。最初、寝不足でふらふらしているのかと思った。でも電灯を見ると揺れていた。そこで初めて地震が起きたことに気づいた。
最初に思ったのは雲仙普賢岳の再噴火、阿蘇の噴火とえびの地震だった。熊本地震どころか福岡地震すら起きてない頃で、普賢岳の記憶が新しい時代だった。阿蘇山の噴火もまだ記憶から薄れていなかった。そして、九州の大地震といえばえびの地震だった。
普賢岳の再噴火での揺れがうちまで届いてるとなると、前回以上の噴火のはずだった。阿蘇が噴火したのなら、またキャベツが1個1000円になるのかと憂慮した。えびのが震源でうち当たりが震度2~3で揺れているのなら震源では震度6以上が予想された。いずれにしても大変な事態だ。大地震ならNHKが速報を出すに違いない。
そう思った私は、とりあえずTVをつけた。
NHK佐賀は放送準備中だったのでNHK福岡に切り替えた。すぐに地震速報が始まった。しかし、映っていた地図は近畿地方のものだった。それを見てこう思った。
「へえ、九州の地震とほぼ同時に近畿でも地震があったのか。めずらしいこともあるものだな。」
しかし、そこに表示された震度を見て愕然とした。まぎれもなく、先ほどの揺れは近畿の地震の揺れに違いなかった。九州でも有感地震となる揺れとはどれほどの大地震か。私は文字通り震撼した。
朝7時台のニュースでは、淡路島で地震があり、死者34人であることを伝えていた。大都市圏での大地震の被害にしてはあまりにも少ないが、それは単に、大阪では通信網が寸断され、情報が届いていないだけであった。当時、首相官邸にインターネット端末が設置されており、インターネット上では地震の速報が流れていたが、日本政府は全くそれを活用していなかった。首相が地震を知ったのは、朝9時ごろ、記者から地震についての質問を受けたときだった。そのため初動は遅れた。日本の首相よりアメリカの大統領が先に知っていたぐらいだった。当時、朝のニュースで地震を知った有志たちがバイクにノートPCを積んで次々に大阪入りし、インターネット上に情報を送り続けていた。当時の政府がインターネットを活用していたなら、その後の被害の拡大をもっと抑えられたかもしれないと思うと、少し悔しい。当時の日本には犬を用いた緊急展開救助チームがなく、地震の当日にアメリカからチーム派遣の申し出があったが、日本政府はいったん断り、それをうけいれたのは4日後だった。真冬の寒い中、初動の速さが人命に直結する状態での4日の遅れは致命的だったのではないか?申し出を即時受け入れていれば、助かった命もあったのではないだろうか?
思えば、御巣鷹山日航機墜落事件のときもそうだった。在日米軍がいち早く事故をキャッチし、軍用ヘリによる夜間山間捜索を打診してきたが、政府は断った経緯がある。当時の自衛隊にはヘリによる夜間山間捜索能力はなく、自衛隊による航空捜索は翌朝に持ち越されていた。そのためか、発見は翌日になった。生存者は4人だったが、生存した中の1人の少女の証言によると、墜落後、真っ暗で身動きがとれなかったが、しばらくは両親の声が聞こえていたそうである。おそらく、墜落直後は多くの生存者がいたのではないだろうか?もし、自衛隊の面子にこだわらず米軍の申し出を受け入れ、夜間に発見できていれば、より多くの人命が救助できたのではないか?やるせない思いがした。
もちろん、ダメダメなのは日本政府なのであって、現場はよくやってると思う。とくに陸自は他国の軍隊に比べて国民への細心の配慮を欠かしてないように思う。東北震災のときもそうだ。政府は後手後手にまわって右往左往していたが、自衛隊はきっちり仕事をしていた。陸自の隊員は、現場では、被災者のみえる場所では食事も休憩もしないように心がけていたそうである。
熊本地震のときには福岡築城基地からいち早く「訓練飛行」の名目で航空機(おそらくF-2)を熊本上空に飛ばしている。夜間偵察能力もなく、意味がないとも言われているが、大きな火災がないことが確認できただけでも意味があり、被災者からすれば航空機のエンジン音が聞こえるだけでも救助を待つ励みになったのではないかと思う。
災害大国日本は、とくに地震・台風・豪雨による災害が多い。去年も台風ラッシュで、特に19号による災害は甚大だった。19号といえば、平成3年のりんご台風を思い出す。あの年も台風ラッシュで、17号が来襲して間もないときだった。佐賀で民家が1件つぶれ、玄関で2人のかたが亡くなったが、おそらく家が倒壊しそうで逃げたかったが風が強く、玄関を開けれなかったのだとおもう。当時、佐賀市内で瞬間最大風速50m、倒壊した家の隣に住む人も、助けに行きたかったが玄関を開けれなかったと証言している。風速30mあれば人は吹き飛ぶ。軽自動車や背の高いトラックもあぶない。我が家では、外にあった自転車と洗濯機が吹き飛ばされた。いつ、アルミサッシが壊れないか気が気ではなかった。風速50mの怖さはあのとき身をもって体験した。いま住んでいる家は川の横にある。毎年のように避難指示が出ている。よほどのことがなければ避難するつもりはない。避難途中のほうが危険だからだ。うちはビルの2階だから、ここまで水が来るようなら街中全域水中都市だ。あきらめるしかない。
水害といえば昭和57年7月豪雨を思い出す。「長崎大水害」とも呼ばれる集中豪雨だ。1時間30ミリも振れば土砂降りなのに、1時間に200ミリ近く降ったらしい。当時熊本にいたが、熊本でも水害が発生した。だが、親に聞くと熊本で水害といえば昭和32年の水害を思い出すそうだ。「白川を家が流れていった」とか今は亡き大洋デパートで水没品の安売りをしていたとか言ってた。
大洋デパートの火災があったころは熊本に住んでいなくて、新聞やTVでみただけだったが、その後熊本に移り住んで、「城屋」と名を変えたデパートに行って、最上階にあったゲーセンでワンコインで2時間半プレイして、とてつもない最高点をたたきだしたことがある。そして、長崎水害の大雨を熊本で受けたわけだ。
長崎水害でもそうだったが、災害時の自衛隊の初動が遅い傾向にある。自衛隊は早目に出動準備をしているが、国からの指示か県からの要請がなければ出動できない。長崎のときは要請が遅れ、阪神のときは府庁も県庁も庁舎自体が機能麻痺し、この前の台風のときは、県知事が無能で役立たずだったわけだ。本来ならば、自衛隊の主たる任務は国防であるから、あまり災害にリソースを裂くのは好ましくないが、緊急時に災害救助可能な集団を初動で速やかに活用するシステムを構築し、日頃から訓練しておくべきではないだろうか?
「後の祭り」という言葉の意味を知っているだろうか?祭りとはまつりごと(政)つまり政治のことだ。「後の祭り」とは物事が起きたあとで政治を行うこと、今回の話で言えば、災害が起こってから対策を立てることだ。事が起こってから考えるなら誰でもできる。いい政治とは、事前に考えて準備しておく政治だ。人間は無力だ。台風や地震を未然に防ぐことはできない。アメリカでハリケーンを弱らせるためにヨウ化銀をまく実験をしたら、勢いを盛り返してかえって被害が拡大したことがあったらしい。それはともかく、起こるのを防げないからこそ、起こったときの対策を事前に十分準備しておくべきであろう。自衛隊側では出動訓練、出動時の救助訓練を国防の一環として日常的にやっているだろうから、県との連携の訓練を定期的に行っておけば、初動で遅れることもなくなるのではないだろうか?日本に住んでいる以上、災害とつきあっていくしかないのだ。明日はわが身。阪神で亡くなった方の冥福を祈りながらも災害による死者を1人でも減らせないかと願わずにはいられなかった。
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